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お知らせ お別れがありました



ブログ、フェイスブックでおなじみだった、私の大好きなおばあちゃんが亡くなりました。

5/22の事でした。

あっという間の出来事でした。

亡くなる前日、ショートステイ先での事、おばあちゃんが1人でこけて腰の骨を折ってしまいました。

病院に入院する事もできず、安静にするしかないので、ショートステイの施設に戻って来たおばあちゃんに会いに行きました。

朝からそんなこんなでばたばたしていたせいか、疲れて寝ぼけ眼なおばあちゃん。

私が手を握ると、起きて「あんた~来てくれたん~~~」っと話しました。

それでも眠くて仕方ないおばあちゃんに、「眠いの??じゃーまた来るね」っと言った私。
「うん、またきてな~」っとおばあちゃん。これが私とおばあちゃんの最後の会話になってしまいました。


次の日、亡くなる当日も、四時ごろ様子を見に行った父がヨーグルトとグレープフルーツを食べさせた時は、いたって元気。腰が痛いよと言いながらも「もう帰るよ~」っとの言葉に、「えー!もう帰るんか!」っといつものやりとり。

その2時間後、連絡が入った。おばあちゃんが息をしてない。脈もない。と。

10分前は動いてたのに、次見た時はもうそんな状態だったと。


飛び出した父の車に、私も行く!と飛び乗った。

部屋に着いた時、おばあちゃんは横たわっていて、心臓マッサージをされてた。


救急の方、施設の方、病院の方、皆が一生懸命おばあちゃんに処置してくれました。

でも、おばあちゃんは逝ってしまいました。


こんなにもあっけなく逝ってしまうなんて
後残りの時間が測れる砂時計があったらなって思ったりもしました。

でも、おばあちゃんにこうしてあげたらよかったとか、こうすればよかったなんて思う事はありません。

だって、おばあちゃんの事大大大好きだったから。おばあちゃんにもそれは伝わってたから。


父が言いました。「おばあちゃんの面倒見てくれてありがとう。お父さんすごく助かってたよ」と
おばちゃんが言いました。「さとちゃんが世話してくれたから、おばあちゃん喜んでたと思う。ありがとう」っと

でも、私はそうじゃなくて、私自身がおばあちゃんのそばにいたかったから、お世話してあげたんじゃなくて、ただ一緒に過ごしたかった。

してあげたことなんてない。してもらったことの方が何倍もある。

いつもよりそって見守ってくれた。

私が夜中に帰ると、目覚ましを夜中にセットして起きて待っててくれたね。

この仕事を始めるとき、出店でたこ焼き屋さんやってたおばあちゃんは、私のやりたい事一番わかってくれた。

毎日お経の時間、私が事故しないようにと、おじいちゃんに拝んでくれた。

夜中に仕込みしてたら、トイレに起きたおばあちゃんと、そのままおしゃべりしたね。二人の大切な時間やったな。

商売終わって帰ったら、いつも「今日は売れましたか?」っと聞いてきたおばあちゃん。
どんなに暇でも「たくさん売れたよ!」って言った。「まぁ~良かったな~」って嬉しそうなおばあちゃんが見たかったから。

一番最近、トラブルを抱えてた私。その話を食卓でしてた。おばあちゃんは耳も遠いので聞こえない。そっぽ向いて違う事してた。でも、その日の夜、寝かしつけるとき。「あんた~。負けたらあかんで~。」って、小さな声で心配そうに言った。

聞こえてたんやなぁ~。おばあちゃん。  そのエールに涙が出ました。


いつもありがとう。ありがとうしかないよ。おばあちゃん。


いつもおばあちゃんの可愛い姿を見てほしくて、SNSにアップしたりしました。
皆がおばあちゃん可愛いねって、いつも楽しみにしてるよって言ってくれて嬉しかった。


そんな可愛いおばあちゃんの最後の十数年を一緒に過ごせた事は私の宝です。

それができたのは、おばあちゃんを引き取るって、両親が決心してくれたから。
両親にもありがとうって言いたいです。


素直に大好きって、親子じゃなかなか言えないよね、孫とおばあちゃんって、そんな特別な関係なのかな~




そしてこの機会に私が思った事。

やっぱり、なんでも行動すべき!


お父さんが言った。あの時、おばあちゃんの連絡があった時、車に飛び乗ってきて、一緒に来てよかったなたって。

私もそう思う。あの時後で駆けつける選択をしてたら、おばあちゃんの死に目にはあえなかった。どんな状況でそうなったのかもわからなかったと思うし。

救急車でも、一緒に乗っていったし、隊員の方がどんな処置をしてくれたかもみれた。
その時におばあちゃんと一緒に頑張れた。

最後まで付き添ってられた。それはほんとによかった。


次の日、葬式会場までおばあちゃんを運ぶ時も、ほんとは、一緒にいると辛かったけど、迷ったけど、でも、ついていった。

そのおかげで湯灌(最後のお風呂?)にも入れてあげれた。葬儀屋さんが、一緒にさせてくれた。

おばあちゃんにしてあげた事で、受け入れる事ができたなぁっていまは思います。



お父さんは未だに、自分がヨーグルト食べさせたから悪かったんか、こけたから悪かったんかなって言ってます。

私は違うと思ってて、きっと、お別れのときだったんやなって。

だから私たちに知らせたのかなって思う。

おばあちゃんがこけて骨を折らなかったら、きっとショートステイ先には行ってなくって、終わって家に帰ってくるのを待ってたと思う。

骨折ったって聞いて、その日に私が、次の日に父が会いに行って、最後に会わせてくれたのかなって思う。

おばあちゃんの知らせを受けるほんのちょっと前、めったに帰ってこない弟が家に向かってるとメールが来た。

なんでこんな日に帰ってくるのか不思議やった。そのあとすぐに知らせが入って、

あ、虫の知らせ。もうお別れなんかも。って思った自分がいた。


そのときやったんやと思います。運命やったんやと。




告別式が終わってから見つけたおばあちゃんのメモ書き。


「さびしき老。 6歳で母を、9歳で父を亡くしてから、今までの人生、苦労の連続でした。お友達も皆死んでしまいました。
おじいさんは今頃、天国でお友達と遊んでいる事でしょう」っと

長生きしてもおばあちゃんはずっとさみしかったんやな。ほんとに良かったね。やっとお迎えが来たね。



もうひとつこんなメモも

「今思い返せば、子育てしていた時が一番楽しかった」

そうやね、おばあちゃんの子供は立派に最後まで世話してくれたね。それはきっと、おばあちゃんが楽しく子育てしたからやろな~


とてもさみしいですが、きっとおばあちゃんも、今までこんな気持ちで何人もの大事な人を見送って来たんやな。

さみしかった事もあったやろな。今度はおばあちゃんが見送られる番やね。

そして、誰にでもその順番はやってくる。私の番が来たときは、おばあちゃんにまた会える時。そう思ってこれからの人生生きていきます。


また会おうねって送りました。

皆さまにはご心配おかけしましたが、6月からは頑張って仕事します!

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おばあちゃんのたっての希望。遺影は絵で!

なんで絵やねんと、最後まで突っ込みどころ満載ですが、絵だけやったらなんかなーって、おもって、可愛い写真をコラージュして引き伸ばしてプリントアウトして、遺影の横に飾ってもらいました。

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